人に向いてないというはなし

どうもお久しぶりです.

なんとなく言葉を吐き出したくなるとふらりと更新される記事でございます.

つまりゴミ箱です.

まあ長年やっておりますが,有益な情報は無いです.書く気も無いですが.

 

人間に向いてないなぁと思ったりするわけです.

どう考えても同じように生きれる気がしないんですよね.

きっと人間として大事な物をどっかに忘れてる気がしますが,それはそれ,うちはうち,よそはよそということで,なにかも解りませんが,日々を死んでいる訳です(これを生きていると言えるならそれは幸せな話だと思います.はい

それなりに世を歩んでいたりしますと,色々考える事もありますが,やっぱりどこかで何かを失っている,何かが足りないような,そんな気がずっとしていますね.

いつも目を背けようとして,それでも時々目の前に現れてきて,直視せずにはいられない.

 

でも,それに気付いた時のほうが生を掛けて生きていける気がするというのもまた皮肉な話.

 

もっと楽に生きられたら良いのにね.ほんと.

エブリデイネガティブ

おはこんばんちは。死にたい。

最後の更新からしばらくぶりですね。

あいかわらず死んでる時にしか更新しないわけですが……

 

図に乗っていたんだろうなあ、と今更ながらに思うわけです。

自分は変われたんだろうと、きっとそう思いたかったんですよ。

でもやっぱりそんなことはなかったと、自分でも薄々気づいているわけです。

 

アイデンティティを他人様に丸投げした自分には、この世界は辛すぎる。

人生が儚いものだと気づき、永遠にも長いものだと気づき、その狭間で押しつぶされそうになる今日この頃です。

 

自分の心と真摯に向き合って、過小評価することなく、過大評価することなく、ただ真摯に向き合って、そうやって向き合うことはきっと、とてつもなくむずかしいことなんだ。

 

自分で自分をしばりつけて、自分で自分を切り刻んで、魂を削って差し出すだけのなにかを、世界は私に与えてくれるのだろうか。なんかもう、わたしだめじゃない?

言葉すらも紡げなくなってきたよ。あんなに大事にしていたのにね、吐き出そうとした言葉は実態を持たずに消えてしまうね。

ああ、きっとまだ先があるんだ。世界の底は、私の底は、きっともっと深いところにあって、どこまでも沈んで行けてしまうんだとおもます。

ひとの目から見たらきっとちいさなことで死にたいと喚き、生きたいと足掻き続け、きっと生にしがみつく虫のように見えてしまうんだろうなぁとおもったりもするわけですが、結局のところ虫には虫の視点しか見えてないわけでして、それが世界の全てだったりするわけです。

巨視的な視点を誰もが持てるならきっと、人間は神様にだってなってるよ。 

 

 

 

久しぶりすぎで笑う

本当にお久しぶりですね。
基本的に落ちてるときしか更新しないので良いのかもしれませんけども。

何というか人生の転機が訪れたときにはここに来ている気がしますね。
ここ一ヶ月程度は本当に色々な事が起こりまくって、自分でも知らぬ間に疲労していたのかも知れません。
とか雑多な事を言ってみたりして。
とかよくわからないことを言ってみたりして。

いろいろ起こったりしましたが、今日も私は元気です。
というか、色々取り落とした物を少しずつ拾い集めている気がする。
誰も分からないかも知れないけれど、私はそんなことを少し思ったのでした。

どこまで戻れば無くした物拾えるだろう。

ねむねむ。なんとなくダウナーなのでアレ。
最近自分のいろいろな受け取り方とかが下手ってのがよくわかった、丁度いい感じ。ってのができない。
一つのことができないだけで全部のことができない。とか思う。
ちょっと何かあると自分の存在意義を疑う。
何に対しても満足しない。常に選ばなかった道のことを考えてる。
どうなるか分からない事って、やっぱり嫌じゃないですか。
もっとフレキシブルで臨機応変な人間になりたいんだよ。
また自分の思考の責任を他人になすりつけようとしてて嫌気が差してきた。ごめん。

なんなんだろう。

最近凄く無駄な時間を浪費している様な気がする。
もっと細かく言えば、最近では無く生まれてこの方、と言った方が正しいかもしれない。
何のために生きて何のために死ぬのだろう。
命を持って何が出来るだろう。

なんて大層な事を考えたい訳では無くて、ただ自分は何がしたいんだろう。と思っているだけで。
意味も無く、あての無い旅に出たい。
自分の中にある他人の目が気にならない所へ行きたい。

最近、文章を書くことに迷いが出てきた。吐き出したいのにこれじゃ困る。

眠い。

けれど眠れぬ宿命を背負ったなんとやら。寝れないなら寝なくていいじゃん理論を素で行く人間。そして後悔する。


最近自分の根源というか、ルーツというのをふと考えることがあって、今の自分の意識がこうであるのはどこどこに原因があって、的な奴なんですけれども、これも懐古厨的なアレなんでしょうか。


変わっていく中で、変わらない物を見つけて安心したいだけのような気もしないではありませんが、今自分がやっていることを何故そうしているのか、ということに素直に回答が出てしまったりして案外、すっきりしてしまうのです。


これは他ならぬ、原点に立ち返る、という事なのですけれども原点が見えなくなるほど遠くに来てしまったときは、なにも考えずに過去を思い出せば、意外と単純な構造が見えてきたりするのかなあ。なんて、思ったりしましたのです。

まだ大丈夫。

随分と久しぶりにはてなの投稿画面を見た気がします。
というか四ヶ月近く開いてるんですね。

割と飽き性な人間なんですけれども、なんやかんやでもう何年ここに書いてるんでしょうね。
相変わらず何一つ進歩してない気がしますが。むしろ退化さえ感じさせるほどではないかと思ってます。

と言うわけで今日も駄文を少々。

何のために生きていくのだろうかと、この先を考えて勝手に悲観していたりしますが、それがなにか生産的行為かといえばそういうわけでもなく、結局何もしてないのと同じという、下手な考え休むに似たり、という気がしてきました。

現実って色々背負い込む物があって、全部投げ出して仕舞いたくも成るのですけれど、後戻り出来ない恐怖感に押しとどめられてズルズルと生きてしまうのです。

のらりくらりと上手に生きていける能力は備わっていなくて、感情さえなくなってしまえばどれほど楽になれるだろうかと考えもしますけれど、それも無理な話です。

どこまで言っても中途半端と言いますか、諦め切れてないと言いますか、思い切りが悪いと言いますか、なまじそれで何とか生物としては生きているのでなんとか成っているのでしょうが。

自分の人生を歩んでいるのか、と問われればなかなか肯定できないものです。
自分自身さえ肯定できるのであれば、それはそれは素敵なのでしょうが、周りに逆らっている自分を肯定できるほどパワーを持ち合わせている訳でも無いのですよ。

自分でなに書いているのかわからなくなりました。
と言うか基本的に分からないんですけど。投稿した瞬間に書いた文章は忘れますけれども。ここの文章に限っては文責なんて一切負いませんよ。
だったら何故に公開するんだ。なんていう話でもありますけれども。
ま、なんとなくですよなんとなく。